活動のお知らせ
6月15日
香貫山のおける新桜台広場の草刈りを行いました。これは沼津朝日新聞社が”遊具があるにもかかわらず草が生い茂っているために子供たちが遊ぶに遊べない”という問題提起に対して当会が応じたもので、日頃シルバー人材センターで草刈り作業を行っておる会員7人で作業を行いましたが、草が伸びているとはいえ下は土なので作業は捗りました。
新桜台広場は頂上に近く、街中とは違い涼しかったです。残念なのは山の東側のために富士山は望めない事です。
あとは草を乾かせば片付けやすくなります、その作業は影奉仕の方にお願いし午前中で作業は終了しました。
5月25日
毎月第4土曜日には韮山の竹林を整備しております。
この時期は雑草の勢いが強く、作業日には草刈をしなけれならないほどの状態です。
下の遊び場はこのの通り綺麗になりました、池にモリアオガエルの卵がありました。
5月21日 沼津市商工会総会出席
原・浮島ボランティアガイドは沼津市商工会(原、浮島、戸田地域)来賓として総会に出席致しました。
令和6年4月27日
韮山竹藪整備
今日は近隣の親子の方に来ていただき、タケノコ掘りを体験して頂きました。
50人程が参加して頂き、地表からあまり伸びていないタケノコは掘り、長く伸びたタケノコはメンマ用に途中から切りましたが、子供達は上手に鍬を使い将来この竹藪をもっと良くして頂けるのではないかと期待を抱かせるほどでした。
竹薮簿所有者の方が、竹でパンを焼いてくださりそれが絶品でした。
上がタケノコ狩りに集まってくれた方々、下が竹で焼いたパン絶品でした。
興国寺城主顕彰会
天野康景 下女の吉夢
天正三年正月一七日夜、康景公に仕える下女は「信玄の首ヲ来年とらふるには」という連歌の上の句を夢に見た、翌日下女はこのことを康景公に伝え、康景公はさらに主君家康公に伝えたところ、家康公は大いに喜び、御鎧の儀の時にこの句を発句として連歌の会を催した。
この年、長篠の合戦があり康景公の下女の夢のお告げ通り、織田、徳川連合軍は甲斐の武田勝頼を散々に打ち破った。
以後、御鎧の儀の時に連歌の会が催される事となり、関ケ原の合戦により家臣が各地の大名となって転出するまで行われた。
康景公が興国寺城々主となり得たのもこの夢のお陰と、一族の天野道家は伝えています。
興国寺城復元する会は下女の吉夢をより多くの方に知って頂き、罪なき足軽を助ける為に大名を捨てた廉潔の武将である康景公の遺徳を顕彰して、御鎧の儀を模して五月人形を飾っております。
日 時 令和6年4月14日(日) AM10:00より
場 所 沼津市東原 宝珠院
PM1:30より興国寺城の講演を行います
昨年の展示風景
今年はこれに興国寺城の土塁模型を展示いたします
令和6年4月14日(日)宝珠院(沼津市東原)にて。
興国寺城主天野康景公を顕彰する為、下女の吉夢にちなみ五月人形と興国寺城の土塁模型を飾りました。
午後1時30分より興国寺城に関する講演会を行いましたが、その席に天野康景公の子孫の方がおられまして講演が終了した後当会が纏めましたレポートをお渡ししました。
また、北条早雲公は備前の領地を捨てて何故この地に留まったのか、などの質問を受け有意義な講演となりました。
会場風景と土塁模型